2024年10月01日

広報委員会取材レポート オエノングループ 合同酒精株式会社旭川工場 様

日本ガラスびん協会広報委員会では、ガラスびんに関する広報活動と日頃からのご愛顧に感謝を込めて、ガラスびんに関連した様々な場所を訪問しています。

今回は2024年8月下旬、「第20回ガラスびんアワード2024」において日本ガラスびん協会特別賞を受賞されました、しそ焼酎「鍛高譚(たんたかたん)」を製造されているオエノングループ 合同酒精株式会社旭川工場(北海道旭川市)を取材いたしました。商品が誕生した背景や日本全国で人気を博するに至った経緯など、晩夏の旭川で様々なお話を伺うことができました。

【ご対応者】

合同酒精株式会社 旭川工場 工場長 伊藤 慈洋様
オエノンホールディングス株式会社 コーポレートコミュニケーション室 室長 田中 直子様、黒崎 大樹様

1.合同酒精旭川工場について

オエノングループは全国に9工場を有し、合同酒精旭川工場はその最北に位置する工場です。北海道で酒精製造を志した神谷傳兵衛(かみやでんべえ)が、1899年に旭川に土地を購入したことからその歴史が始まりました。翌1900年に設立された日本酒精製造(後の神谷酒造旭川工場)が民間初のアルコール工場として稼働を開始し、1914年には現在も旭川工場内にその姿を残す赤レンガ塔が蒸留設備として完成します。その後1924年、神谷酒造を中心とした焼酎製造会社4社が合併して合同酒精(現:オエノンホールディングス)が発足し、今年で会社創立100周年を迎えられました。戦時中は軍に向けた燃料用アルコールの製造工場として稼働していたそうで、歴史の重みが感じられます。

現在の旭川工場の生産品目は甲類焼酎、乙類焼酎、甲乙混和焼酎、清酒、合成清酒、スピリッツ、リキュールなど多岐にわたります。最も生産量が多いのは甲類焼酎で、旭川工場の生産量の約75%を占めるとのこと。北海道はもともと甲類焼酎がよく飲まれる文化があり、それを反映した生産品目となっています。

乙類焼酎としては北海道産ゆめぴりかを使った米焼酎や、インカのめざめというじゃがいもを使ったじゃがいも焼酎など、北海道産の原料を使用した商品ラインナップが特徴的です。そして甲乙混和焼酎として昆布焼酎などがある他、道東にある白糠町(しらぬかちょう)の赤しそを使った焼酎として、今回お話を伺った鍛高譚があるというわけです。

工場の事務所棟に入るとガラスびんアワード受賞トロフィーが

2.焼酎の作り方

焼酎は蒸留方法によって二種類に分けられます。ひとつはいわゆる甲類と呼ばれる連続式蒸留焼酎で、これは糖蜜などを原料としたエタノールを連続蒸留器で蒸留し、アルコール分36度未満のもの。本格焼酎などの乙類は単式蒸留器で作られたアルコール分45度以下の焼酎で、芋や麦、米のほか様々な原料が用いられます。

鍛高譚は、この甲類焼酎と乙類焼酎をブレンドさせた甲乙混和焼酎です。乙類焼酎の原料としては、道東にある白糠町で栽培された赤しそがそのキャラクターを特徴づけるものですが、赤しその他にデーツ(ナツメヤシ)が使われています。デーツを使うメリットは原料そのものの匂いが少ないこと。他の原料の香りを邪魔しないため、しそや昆布など素材そのものの香りを引き立たせたいときのベースとして適しているのだそうです。

さらに、乙類焼酎を作る単式蒸留器には常圧蒸留器と減圧蒸留器の二種類があります。旭川工場の単式蒸留器は減圧蒸留器。常圧は芋焼酎などでよく使われ、熱を使うことで焦げた風味が出ることが特徴で、香ばしさがあり濃厚な味わいになります。一方、旭川工場で用いられている減圧蒸留器は気圧を下げて沸騰する温度を下げるため、焦げた感じや濃厚な部分が少なくなることで軽快な味わいになり、赤しその特徴的な香りが出しやすいというメリットがあります。こうして作られた乙類焼酎に、苫小牧工場で製造され運ばれてきた甲類焼酎をブレンドすることで鍛高譚は作られています。

3.製造工程見学

それでは旭川工場の鍛高譚製造ラインを見学していきます。工場内の敷地を歩いていると最初に目につくのはレンガ造りの建物です。これらは20世紀前半に建てられ、製造設備として使用されていたものです。

往時の佇まいを残す赤レンガ塔
昔の製造設備である赤レンガ倉庫
現在は樽の貯蔵庫になっています

こちらは苫小牧工場で製造し輸送されてきた、95度のアルコールを貯蔵するタンクです。500klが2本、250klが1本という構成で、繁忙期である10~12月には苫小牧工場からほぼ毎日コンテナで搬入されてきます。

アルコール貯蔵用のタンク

こちらがびんの搬入口です。鍛高譚のびんは充填後商品の包装にも使われる段ボールに入って納品されてきます。アンケーサーでびんを取り出し、段ボールとびんは別の工程に。びんに焼酎を充填後、段ボールと合流して箱詰めされます。

びん搬入口

ラインに払い出されたびんはリンサーで洗浄され、充填、キャッピングされていきます。鍛高譚の製造ラインでは1時間あたり2000本が充填されていきます。

リンサー
充填機
キャッパー

充填後のびんにラベルが貼りつけられると、ぐっと商品らしくなりますね。実はこのラベルにも秘密があります。通常はラベル中央にいるカレイは黒で印刷されているのですが、ごくたまに金のカレイがいるんです!これは鍛高譚が発売25周年を迎えた2017年に行った「金のタンタカを探せ」というプロモーションが始まりだそうです。従業員の方も工場内でしか見たことがない方が多いとのことで、店頭で出会えたらかなりラッキーと言えそうです。

ラベラー
金のタンタカ

4.質疑応答

Q:赤しそを使って焼酎を作ろうと思ったきっかけを教えてください。白糠町の一村一品運動の一環とのことですが、もともと白糠町で赤しその栽培が盛んだったのでしょうか?
A:最初は白糠町のしそ農家から「自分の育てている赤しそを使って何かお酒を作れないか?」という提案を受けたのがきっかけでした。この赤しそは人間の手のひらほどの大きさがあり、香りも非常に強く、契約農家さんによって、農薬不使用で全て手作業により栽培されています。しそジュースとしては飲まれていたようですが、何か白糠町の活性化に使えないかという相談を受けたことで商品開発がスタートしました。合同酒精はもともと昆布など北海道ならではの原料を使った焼酎造りをしていたので、道産原料を使った企画には臨機応変に対応してきた経緯があります。インカのめざめ(じゃがいも)の他、ハッカや玉ねぎ、にんにくなどを使ったお酒づくりをしたこともあり、昔から道内の自治体やJAなどから「こういう素材を使ってお酒にしてくれないか」という相談を受けていました。いわゆる「名産品」と呼ばれるものは、ほとんどお酒の原料として使ってみたのではないかと思います。その中でも、30年以上の長きにわたり飲まれているのが鍛高譚というわけです。

Q:鍛高譚は甲乙混和焼酎ですが、なぜ甲類と乙類をブレンドすることにしたのでしょうか?
A:試作時には100%単式蒸留(乙類)の味も試したのですが、「濃すぎた」のです。草っぽい要素が目立つとでも言えば良いでしょうか。しそにはえぐみがありますので、原料としてたくさん使用すると、香りも出ますがえぐみも出てしまう。そのバランスを考えて甲乙のブレンド比率を決めています。

Q:鍛高譚は当初北海道内のみで消費されており、口コミで全国へ広がっていったと伺いました。そのきっかけは何だったのでしょうか?
A:鍛高譚が発売された1992年にはもちろんSNSなどなく、本当の口コミでした。たまたま芸能人の方が北海道で飲まれて気に入ったため、お土産として持って帰られたのがきっかけで、そこから時間をかけて徐々に広まっていきました。他にない焼酎だったこと、しそはジャパニーズハーブとして日本人に受け入れられやすい香りだったこと、そして女性が飲みやすい焼酎だったことが、全国展開できた大きな要因であると分析しています。中でも、女性に受け入れられたということは非常に大切な要素でした。鍛高譚が発売された頃はちょうど女性の社会進出が活発化し、女性が外でお酒を飲まれる機会が増えてきた時期で、女性にも飲みやすいお酒であったことが幸いしました。それまで焼酎はアルコールに強い男性が飲むものというイメージがありましたので、それを払しょくできたのが大きかったです。名前も焼酎っぽくないので、女性に受け入れられやすかったのかもしれません。また女性が飲むと一緒にいる男性も飲んでくださることが多いので、これだけ様々な方に飲んでいただける商品になったのだと思っています。

試飲会の風景。取材に伺ったびん協広報委員の中には「学生時代に初めて飲んだお酒が鍛高譚」というメンバーも。

Q:HPでアイヌ由来のストーリーを掲げていますが、実際にアイヌ文化との関わりはどのようなものなのでしょうか?
A:弊社HPでご紹介しているタンタカ物語は、鍛高譚のラベルに使われている切り絵作家(前白糠町長のご息女)の方が、切り絵を作る際にイメージされていたお話がベースになっています。「タンタカ」というのはアイヌ語でカレイを意味するとともに、実在する地名でもあります。赤しそを栽培している畑の前のバス停が「鍛高」という名前で、畑の真正面に鍛高山という山もあります。カレイがしそを咥えて鍛高山を登っていくというイメージで切り絵が制作されており、そこから鍛高譚という商品名になりました。

Q:SNSで鍛高譚のアカウントから様々な発信をされていますが、お客様とのコミュニケーションで気を付けていることは何でしょうか?
A:SNSは、消費者の方と直接コミュニケーションを取れる数少ない接点なので大切にしています。酒類メーカーの仕事はどうしてもお店に卸すまでになりがちですが、その先でどうやって手に取っていただくかが非常に重要です。鍛高譚は発売してから30年以上が経過しました。発売してからものすごいブームがありましたが、その当時に飲用していた20代の方々も、30年経って50代になっています。やはり鍛高譚というお酒を知らない若い世代がいらっしゃいますし、コロナ禍などにより飲酒離れも進んでいるので、SNSを使って再度認知の拡大を目指しています。まずは焼酎=中高年というイメージを払しょくするようなコミュニケーションを図りたいですね。

Q:創立100周年という節目の年ですが、関連するイベントなどを実施する予定はありますか?
A:5年ほど前から、グループ内の会社や部署を横断した若手・中堅社員7名で100周年記念プロジェクトを行っています。よくあるパターンとしては社史作成や記念式典といったことになるのだと思いますが、コロナ禍を経てどのようなことができるか?と考えました。2024年3月に株主総会でも発表しましたが、まず100周年記念動画を作成しました。10月に100周年を迎えるので、ホームページのコンテンツを充実させることで皆様に周知するとともに、「次の100年に向けて」というスローガンでの活動としています。合同酒精旭川工場は民間初のアルコール工場であり、そこを起点にオエノンは始まっています。100年を祝うだけではなく、次の100年を考えることが重要だと思っています。
(オエノンホールディングス 創立100周年ホームページ : https://www.oenon.jp/100th/

5.見学を終えて

100年企業としての歴史、北海道から口コミで広がった背景など、様々なお話を伺うことができました。鍛高譚は歴史のある商品ですが、近年では「鍛茶(たんちゃ)」という名前で鍛高譚のお茶割りが若年層に流行するなど、やはり底堅い商品力があることが感じられます。このような商品の容器としてガラスびんが使われ続けていることを改めて誇りに思うとともに、これからもガラスびんを通じて、商品の背景にあるストーリーまで生活者の皆様にお届けできるよう努めて参ります。

この度は広報取材にご協力いただきありがとうございました。