びんとリサイクルの歴史
海外の歴史 | 国内の歴史 | ||
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ガラスびんのルーツ、近代以前のガラスびん | |||
ガラス容器の破片がエジプトや西アジアで発見されている。当時のガラスは「コア・テクニック」で製造されており、とても高価なものだった。 |
紀元前1500年頃 | 約3500年前 | |
エジプトで、ガラス容器が作られるようになったのは、新王国の第十八王朝の時代からである。エジプトの古代ガラスは、いずれもコア・テクニックや鋳造法によって作られたガラス器で、外側につけられた装飾文様は、メソポタミア地方で作られていたコア・ガラスと同様の羽毛状の縞文様がつけられているか、または素文のものが圧倒的に多数を占めている。 | 約3085年前 | ||
「吹きガラス技法」が発明され、ガラス製品は一般庶民にも手に届く存在に。 | ローマ時代 | ||
ガラスびんが普及する前、清酒は樽から徳利への量り売りが行われていた。徳利は「貧乏徳利」または「通い徳利」と呼ばれ、酒屋と客の間を行き来していた。その後、明治30年頃まで徳利による量り売りが続く。 | |||
コルク栓が大量に使えるようになり、ビールびんやワインボトルの利用が急速に広がる。 | 1650年頃 | 江戸 | |
1830〜 | 壜詰清酒が出回る。 | ||
1840年頃 | 上総屋の初代在原と留三郎は、蘭学者に指導されて蒸溜器に用いるレトルト(首部を曲げたフラスコ)を、日本で最初に造った。 | ||
1854〜1859年頃 | ペリー提督が来航時に、海へ棄てたあきびんを人々が拾い珍重する。 | ||
1868年頃 | 明治 | イギリス、ドイツ、アメリカなどからビールの輸入始まる。 | |
1870年 | 各種洋酒の輸入が始まる。あきびんをリユースして使うようになる。 | ||
「便利水」とは当時の陶器やガラス用の接着剤で、高さは約3センチ、歪みや気泡があり底は厚底で、いわゆる「わびさびのびん」のユニークな形で発売された。 | |||
イギリスで新しい売り方として壜びんビールが発売された。 | 1880年 | ||
1882〜 | 日本で私達が20世紀に手にした、ラムネの玉びんの形にもっともよく似た形状のコッズ・ボトルがイギリスで使われ始めた。 |
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1889年頃 | 初めて国産ビールびんがつくられる。 |
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牛乳に初めて細口のガラスびんを使い始める。 |
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1892年 | ラムネびんの国産化に成功。 | ||
1897年 | 日本では、化粧品の壜びんが出回る。 | ||
アメリカでは、毒びんが出回る。 | 1900初頭 | 日本では、目薬びんの全盛期を迎える。 |
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1900年代 | 水白粉や毛髪用香油のびんなど、西洋の影響がある反面どことなく日本的雰囲気が漂うものが出回る。 | ||
1901年 | リターナブルびんの原点、一升びんに入った清酒登場。 | ||
自動製びん・大量生産時代の幕開け | |||
米国で自動製びん機が開発され、大量生産が可能になり、近代産業としてスタート。 | 1905年 | ||
1910〜 | 1913年にインクびんはギヤマン問屋の加賀屋九兵衛によって試みられたという説があり、万年筆の流行とともに広まった。 | ||
コカ・コーラのコンツアーボトルが誕生。 |
1915年 | 大正 | |
1916年 | オウエンス式自動製びん機が国内で初めて導入される。 |
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1920年 | 加賀屋の河野定次郎が海苔佃煮などを容れる広口・細口びんを造る半人工式びん機の制作に成功した。 | ||
1920年代 | 男性的雰囲気のトニックびんに入ったポマードやヘアートニックが盛んに使用されていた。 青や黄や紫のびんに入った鎮痛鎮痒消炎剤「キンカン」発売された。 |
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1924年 | 自動製びん機で、一升びんの量産が開始される。 | ||
動製びん機「IS(individualsection)マシン」が登場し、現在の生産スタイルが確立された。 | 1925年 | 昭和 | 醤油に二リットルびんが誕生する。 |
透明びんの自動製びんに成功。 | 1929年 | ||
1930年代 | カレーパウダーのびんは「三角びん」や三味線のバチに似てるが故「バチびん」と呼ばれ庶民にも親しまれたが時代の流れに勝てず1950年代に消えた。 |
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1931年 | 坂本孫次郎が両口式点眼びんの開発。 | ||
1935年代 | 東京都電気局共済組合が「一粒丸」のびん発売。 |
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1935年頃 | 「水分採取器」びん(全長12.5センチ・色ライトグリーン)が生産された。 | ||
1937年 | 「サントリーウィスキー角瓶」の発売となった。胴に亀甲文様がついた透明びんである。 |
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1938年代 | 京成電車薬品部「シミトール」のびんが発売されるが5年の命しかなかった。 | ||
1940年前後 | 戦前・戦後にかけてびん肩にエンボス文字がある典型的殺虫剤のびんが出回った。 | ||
1940年 | 山梨のメーカー・モンデがまだモロゾフ酒造と呼ばれ、「チェリーブランデー」の赤いびんが発売される。 | ||
ニッカウヰスキー(株)の第一号として、「ニッカウヰスキー〔特角 ウィスキー)」が発売された。最初のデザインは、胴の回り全面に網目文様状の「ギザギザの線の入った角瓶」入りだった。 | |||
1943年 | 緑の小びんに入ったヒロポン錠が出回る。 | ||
1945年 | 東横電鉄が「ハムライスの素」のびんが発売された。 |
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1945年頃 | 「紅清」という、昭和20年頃の食紅びんが発売される。 | ||
1952年 | スーパー第一号店初めて牛乳二合びん現れる。 | ||
1954年代 | 守山珈琲牛乳の菊型びんは駅売り用牛乳びんで、当時はかなり出回った。 | ||
1956年 | 計量法の改正により「まる正」びんが登場する。 | ||
1961年 | IS型自動製びん機を導入。製びん技術の高度化・多様化に寄与する。 | ||
1964年 | カップ型清酒びんが登場。 |
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現代のガラスびん 多様化と環境の時代 | |||
1974年 | ガラスびんメーカーがリサイクルへの取り組みを始める。 | ||
行政やびん詰めメーカーや酒販店などと協力して、リサイクルのシステムづくりをすすめる。 | |||
1984年 | ガラスびんリサイクリング推進連合が設立される。 | ||
1987年 | 自動販売機対応型の小容量広口ジュースびん登場。 | ||
1991年 | 平成 | 混色カレットを100%利用したエコロジーボトルが誕生。 | |
カレットの使用率が50%を超える。 | |||
1994年 | ガラスびん推進プロジェクト(RAMプロジェクト)が活動を開始。 | ||
主な活動内容は、リターナブルびんの推進・普及、カレットの用途開発。 | |||
ガラスびん原料としてのカレット利用の推進。 | |||
1996年 | ガラスびんリサイクル促進協議会が設立される。 | ||
1997年 | 容器包装リサイクル法が施行され、消費者と市町村と事業者が役割を分担して、あきびんの分別収集・リサイクルに取り組むことが義務づけられる。 | ||
1998年 | カレットの使用率が70%を超える。 | ||
2000年 | 従来より30~50%軽量化された超軽量びんが登場。 | ||
生協団体で構成する「びん再使用ネットワーク」が超軽量Rびんを開発。 | |||
2001年 | リターナブルびんについて、エコマークの認定基準が制定される。 | ||
2002年 | カレットを高比率で利用するガラスびんについて、エコマークの認定基準が制定される。 | ||
2003年 | カレットの使用率が90%を超える。 | ||
日本ガラスびん協会が「リサイクルのための識別表示」のガイドラインを発行。 | |||
カタカナと点字の触覚記号を併用してガラスびんの色をユニバーサルデザインの観点から、カタカナと点字の触覚記号を併用してガラスびんの色を表示、分別指標を示した。 | |||
軽量びんについて、エコマークの認定基準が制定される。 | |||
2004年 | 日本ガラスびん協会主催の「ガラスびんデザインアワード」はじまる。 | ||
2005年 | 南九州で焼酎のRマークびん(900ml)誕生。 | ||
2006年 | 2010年度に向けてびんの3R推進目標が設定される。 | ||
2007年 | ガラスびんリサイクル促進協議会が「3Rのためのガラス容器自主設計ガイドライン」を発表し、分別排出の基準を公開。 | ||
2008年 | 「地サイダー」ブームで、復刻版サイダーびん(Rマークびん)が誕生。 | ||
全国の「地サイダー生産者」が共同開発した、同じ形状のびんを採用。 | |||
2008年4月から、「化粧品びんリサイクル」を開始するための取組が始まる。※一部の化粧品びんは除く。 |
参考文献「びんの話」山本 孝造 著