2010年10月29日
広報委員会 研修会(4) 「月桂冠(株) 大倉記念館」
最後に、月桂冠(株)「大倉記念館」へ訪問、今回の視察を締めくくりました。
大倉記念館では、技術部部長 秦 洋二様にご案内をしていただきました。
まずは、VTRで、月桂冠様の歴史をご紹介いただきました。
創業は1637年北・東・西の3方を山に囲まれた京都市内に降った雨が地下を通り、伏見の地にて湧き出ることから、その湧き水を使って酒造りが始まったそうです。また、水運に恵まれ、大都市大阪へのアクセスが良く、商人の町として栄えたことも、酒造りが盛んになった大きな要因です。
伏見の地下水は、40~50年の間、ゆっくりと地下を通ってやってくる間にろ過され、より奥深く、まろやかな味になるため、酒造りに最適であるそうです。
月桂冠様の商品作りの原点は、「良いもの・お客様に喜ばれるものを作る」という点にあり、中身はもちろんのことパッケージも含めた、トータルの品質向上を日々目指しています。
月桂冠様とガラスびんの関係も古く、明治44年には、びん詰め清酒を販売、「防腐剤イラズ」というキャッチコピーで販売しました。従来の酒樽での流通から、びんを使用することにより、利便性や安全性が大きく向上したそうです。
また、平成元年(1989年)には、米国月桂冠を設立、本格的に海外展開を実施され、現在では、60カ国以上に輸出をされているそうです。
その後、記念館内の展示にて、お酒のできるまでを詳しくご説明をいただきました。
江戸時代、清酒が庶民でも楽しめた理由と、容器の間には大きなつながりがありました。
日本には、高精度かつ大型の「桶」を作る技術があったということです。これは、日本ならではの職人芸でした。大型の桶で一度に大量にお酒が作れるようになり、庶民でも飲めるくらい幅広く普及することができました。
また、戦前から、戦後、高度成長期それぞれを象徴するような月桂冠様の商品の展示もありました。
お酒の消費量が劇的に増えた時期に、保存性も高く、大量生産できるガラスびんがその普及に大きく貢献していたことが、様々な展示品から伺うことができました。
また容器を樽からびんに変えることにより、月桂冠を日本全国へ流通することが可能になりました。
まさしく当時のニーズにマッチした容器が、ガラスびんだったのです。
現在では、清酒の生産量も最盛期から比べると減少傾向にあり、ガラスびんも同様の傾向にあります。
日本酒業界では、お客様の嗜好の変化、多様化に対応するため、ニーズにマッチした商品開発を積極的に行い、かつ、高品質の商品作りを行うことで、さらなるお客様の信頼を勝ち取ろうとされています。
私たちガラスびん業界も、メーカー様、消費者の方のニーズによく耳を傾け、これからの環境社会において信頼してお使いいただけるような容器を目指して、努力してまいります。